JIDnews 281

JIDnews は、公益社団法人 日本インテリアデザイナー協会が発行する機関誌です。



JID創立60周年・特別寄稿
日本インテリアデザイナー協会の誕生

 

北・東日本エリア 森谷 延周


○はじめに
 私たちのJIDは、今「創立60周年」という大きな節目を迎えた。
一方、今から10年前の創立50周年頃、私はこのJID NEWSに「日本室内設計家協会の誕生」といった一文を寄稿したが、その後の会員の入会、発足時の会員の他界、公益社団法人化などのほか、当時の文面の修正や加筆を加え、創立60周年というこの機に、改めてこれまでを振り返ってみたい。

○日本室内設計家協会(jid)誕生の機運
 この名称は現在の(公社)日本インテリアデザイナー協会(JID)の前身の呼称で、昭和33年(1958年)11月24日に任意団体として発足、ロゴマークは英文表記の頭文字をアレンジしたものだった。
 この「室内設計家」という名称は、「建築設計家」に対する意識からの専門的職能の独立を意識した名称だったと記憶している。
 そして、発足から10年を経て、任意団体から社団法人化され、世の中に認知された「職能団体」に脱皮した。
 一方、当協会が発足した数年前、デザインに関わる活動組織体をつくろうという大きな社会的機運に呼応して、昭和27年(1952年)に日本インダストリアルデザイナー協会(JIDA)、昭和31年(1956年)に日本デザイナークラフトマン協会(現日本クラフトデザイン協会)が、それぞれ発足した。
したがって私たちの協会は、日本デザイン団体協議会(通称:D-8)の中では3番目である。

○JID設立提唱者

 まず始めに、豊口克平の自著「夫婦50年」の年譜の一節を紹介する。
=1958(昭和33)日本室内設計家協会(現日本インテリアデザイナー協会)設立を、中西三郎氏とともに提唱、同年設立実現。昭和33~51まで理事(4年間理事長)=(原文のまま)
 さらに豊口は、JIDの機関紙No.110号「JID創立30年史」の一節の中で、発会前に隅田隆治、狩野雄一、桜井定雄、大泉博一郎らの名前を上げながら、
=親しい連中はみな賛成してくれて、話しを始めて1年くらいで発会式にこぎつけました。剣持君はもちろん渡辺力君も集まってきましたね=と語っている。
(原文のまま)
 豊口は、この発足実現の翌年に、26年半在職した産業工芸試験所を退所、念願だった豊口デザイン研究所を設立し、フリーランスデザイナーの道を歩み始めた。

 一方、中西は総合デザイン研究所を自営するかたわら、当時は珍しい専門月刊誌「ニューインテリア」の編集長を勤めながら自らも執筆に腕を振るった。
そして研究所の中に、歴史ある「日本木材工芸学会」の事務局を置きながら、発足した協会の事務局を併設するなど、多面的な協力を惜しまない人だった。

○発足に向けて
 前述の2人を中心に、すでに応諾を得た人々の輪が広がって、発足に向けて28人の「設立発起人」が揃った。そして設立準備委員会が構成され、「定款」「会員規定」「入会の案内文」などを作成した。ちなみに定款第3条には、「本会は会員相互の協力により、室内デザイナーの社会的地位を守り、生活文化ならびに産業経済の進展に役立たせようとするものである」と記されている。(原文のまま)発足への具体的準備を終え、設立発起人は手分けして入会を募る活動に入った。
<28人の設立発起人>岩瀬要三、宇佐美滝三郎、大泉博一郎、奥平貞俊、狩野雄一、倉林益太郎、剣持勇、坂田種男、桜井定雄、佐々木達三、白石浩二、鈴木富久治、玉田郁郎、豊口克平、中井太一郎、中西三郎、中村富夫、西海健彦、野口寿郎、藤森健次、松村勝男、水谷文平、水之江忠臣、宮内順治、森田良夫、山口勇二郎、渡辺安吉、渡辺力(50音順)

 設立総会の会場は、東京・港区の「虎ノ門共済会館」、日時は昭和33年11月24日。議事には定款制定と役員選挙の件と記されている。
なお、「会員規定」で正会員の入会金は1,000 円、年会費は3,000円(月額300円)とした。また、発会時に「会員名簿」も発行され、そこには役員一覧と79人の正会員が掲載されている。そして現在、正会員/泉修二、名誉会員/川上信二、中村圭介、渡辺優の4人の方々が、今なお健在で在籍されている。

○任意団体~現在
 発足時の定款第2条「本会は本部を東京に置き、主要な土地に支部を置くことができる」(原文のまま)を受けて、発足した翌年の昭和34年に大阪支部、昭和39年に九州支部がそれぞれ発足し、3支部制となった。そして昭和44年(1969年)に法人格を取得し、(社)日本インテリアデザイナー協会と改組、
また認可と同時に「支部」を「事業支部」と改称、さらに昭和46年に中部事業支部が発足し、本部をもとに4事業支部制といった活動組織体となった。

 

 この組織体は長く続いたが平成25年(2013年)、国の制度改革に伴って、現在の「公益社団法人」に移行、さらにこの制度改革と前後して、活動組織体の名称を現在の「4エリア制」に改め、今日に至っている。

○JIDのロゴマーク
 発足から15年有余、JIDのロゴマークには、いくつかの移り変わりがあったが、いずれも確定的なものではなかった。そして昭和49年(1974年)頃、理事会で刷新・確定することが議論され、外部のデザイナー(グラフィックデザイナー/高浦 威)にデザインを依頼、3案の提示があった。そして理事会の判断で、全会員485名(社)を対象にアンケート調査を実施、回答数62%、
120通を占めた現行のものが決定した。また同時に協会名の日本字・英字表記のデザインも決まり、現在、継続して使われている。

○おわりに
 JIDが発足して5年、私が25歳の頃、前述の豊口克平さんから「君をJIDに正会員として推薦したい」との話。私はJIDの発足が取り沙汰されていた頃から、入会を夢見ていたので、胸がジーンとなったのを覚えている。
 そして理事会で認められたのは昭和39年(1964年)2月9日、もう一人の推薦者は、同じ職場の故・原好輝さん。

 JIDでは幾多の活動に参画してきたが、一時期、事務局長を務めた。
その中でも1995年10月、日本で、アジアで初めて開催された「IFI ‘95名古屋/世界インテリアデザイン会議」、JID全体が中心的役割を担ったが、その頃、会員数も1000人に近づき、事務局業務は超多忙だった。これは忘れられない。
 これから「創立70周年」に向けてJIDの歩みは続く・・・・・。

JIDnews 243号抜粋ページ